せつない
抑うつ感を払拭したと思ったら、今度はあることがモヤッと頭の中を占領して勉強に手がつかないってこのイカレポンチ邪心だらけの脳内め。こらお前、オレの、オレの、オレの話を聞けぇー。
昨日一月ぶりに心療内科に行った。
薬を飲んでも、なんらそれが効いて何かが変わったような気はせず、苦しくなったときに思いつめてしまうのも同じ。「薬飲んでるから大丈夫だ。抑えよう抑えよう」と思うことができる、くらいの効果しかないように思う。医者に行くことも同じで、薬をもらえること以外に、何か改善のヒントをもらえるような診療を受けられるというメリットがあるとは思えない。
高いお金払っているカウンセリングでも、性格検査を受けさせられたり、あったできごとや夢のを話しさせられたり。誰だかよくわからない人に自分の内面を話すのは心理的に抵抗のあるもので、非常に疲れる。それが治療の一環だとわかっていても、それを受けることでよい変化があるとは思えないし、治療方針について説明もされない。先が見えないものに不安しか抱けないのは自然な反応だと思うが。性格検査は若干面白いので次はどの型で、こう答えるとどう判定されるのかと楽しみではあるが、これはあと6回くらいかかるらしい。
言いたいこと全部言ったら嫌がられるだろうな、とかどう思われるのかなとか考えて、こっちが気を使ってしまって全然楽じゃない。これになんの意味があるのだろうか?
それで気分が優れなくていけなかった日を境に、通院も服薬もやめてしまっていたのだ。学校に行きたいと思っていても、友達との約束に行かなきゃと思っていても、それでも家から出れないでいるときに、病院なら行けるのかっていったらそんなわけはない。
結局いくつか本を読んだり、友達と話をして、自分の感情がダメージを受けないように考えかたを修正するのが一番必要なことでないかと思った。
昨日の診療で、医師には「自分でコントロールできないから病気なんじゃない。双極性気分障害だって言ったでしょう。治療する気はあるの?」と言われた。「自分に治す気がなけりゃ治らない。」それはその通りだと思う。だが、ここに来てそういう気になれないのだから、ただ通院だけしていても治るとは思えないのだ。
たくさんの患者が控えている医院の短い診療時間で治療者と患者が十分なコミュニケーションをとるのは難しい。結局「どうですか?何か変化ありましたか?」「お薬出しときますね」で終わり。時間を確保したカウンセリングにしたって話せる環境を作ってもらえないと何も喋れない。
医者は専門家だから理屈がわかっていて、信じる治療法もあるのだろうが、患者にはちゃんと説明してもらわないとわからないし、納得した治療でないと受けられない。医者にまかせっきりというのは嫌だ。自分の体のことだから何がどうなったかを知りたい。
患者の気持ちも考えない治療の押し付けは、「うちの方針に従って言うとおりにする人以外は来てもらわなくてもいい。他にも患者はいっぱいいるのだから」、と思っている気がしてならない。
他の器質的な異状を見る医者ならまだ、ストレスを感じる診療でもこっちが我慢してその部分の治療を問題なくしてくれればいいやと思えるかもしれないが、心の治療、ケア、心因性による器質異状の治療を専門とする医者が、楽になりたいと思ってやってきた患者に、ストレスが増える診療を行ってしまっては患者はますます気分を害して悪化させてしまうのではないかと思う。一体そういうどこの医者にも見てもらえない患者はどこにいけばいいのだ。
原点に返って、医者にこそホスピタリティが必要だと思う。
この日は学校に提出する診断書をもらった。学校の信頼の置ける先生曰く、「最初のうちは嫌だと思うかもしれないけど、まだスタートラインにたったばかりだから続けてみて」ということだ。オレが崩れそうなときにがんばらなきゃと思いなおすことができるようにしてくれるのは、お金を払って通う医者ではない。こんな状態のオレと向き合って話を聞くのはすごく大変なことなのに話に付き合ってくれる、この先生やごく一部の友達だ。
寄せてもらったコメントに返事しなきゃと思って一生懸命考えたりするけど直視できなかったりして放置状態になってます。ごめんなさい。ちゃんと全部見てます。
今週は調子戻せそうになって、毎日風呂にはいって歯磨いてってできたのがここ数ヵ月なかった快挙です。ずっとまともに歯磨いてなかったからとうとうやっぱり虫歯になってしまい治療中です。
一昨日のストレスフルな会議で抑えなきゃと思いつつもがんばって発言して60くらいまで上げたら気力を消費してしまって次の日、つまり昨日は10まで落ちてしまいました。すっかり自己嫌悪モードでよくないです。またあきらめと投げ出しそうになってます。
こんなにめちゃくちゃしててもコメントをくれる親切な人がいるのに受け入れようとしないオレがいるのはなぜ?だって。
だって違うよ。ほんとはもっといっぱいの人が見てるはずなのに全然誰も連絡くれないじゃない。オレは友達いないよ。誰に話したらいいのかわからないよ。こっちから連絡したらきっと迷惑に違いないけど足蹴にはできなくて適当な慰めの返事をくれるだけじゃない。ごめんなさい。ごめんなさい。こんなことばっかり言ってるからみんな離れていくんだよね。わかってるよ。だけどもともとオレは人に好かれるタイプじゃないじゃない。ああやだやだ。こんな自分は嫌いだよ。
やっぱり本人に治る気がないと何をしてもダメなんだよね。じゃあどうしたら治る気が起きるの?どうすればいいの?
こんなに死にたいのに死ねないのはなぜ?
何もできないまま歳を取っていくのは嫌だよ。
本は精神安定剤。新しい知識を入れてる時はすごくわくわくする。何か実行してみようという活力になる。小説は優先度が低くてあまり読めなかったんだけどなるべく読もうとしている。すぐに役立つ知識は確かに目に見えて力になるけど、ものの考え方とか好みとか、根底の部分でその人を形作るのは文学じゃないかと思う。村上春樹は非常にいいところ突いてくるのだが、素直に好きとは言えない感じ。全部計算ずくって見えて、読まれてる感じが悔しいのかな。好きなのは江國香織。数冊読んだけど、透き通った清涼感がある。情事を書いてもベタベタしてないさっぱり感。
本以外では、ぷよぷよをする。ネットで配ってるベータ版と、携帯でもやる。頭使って連鎖組んでる時は他の事を忘れられる。ああ、なんか気持ち悪い日記みたいになってきたぞ。
・・・でも、それさえできない時はどうしたらいいの。モチベーションが10まで低下して一日倒れていた。
夜になると気持ちがはやって全然眠れず。昨日も明け方6時ごろまでうなっていた。拍動が妙に速くなって、何これ、オレこのまま死ぬんじゃないの、と思った。死ねばよかったのに。どうやって死ぬかばかり考えていたのに、死に損なった時のリスクを考えたら実行できない。意気地なし。
もう誰も信用しない。できない。嫌い。
誰もオレのことなんか大事に思っていないしさっさと死んでしまえばいいんだ。
中途半端に生きてるから、周りだって励まそうとしたり説得したり、迷惑だよね。ほんと。死んじゃえば一時は忙しくなるだろうけど直に忘れてしまう。他人だって自分だって生きて欲しいとなんか思ってないのに、なんだって今日まで生きてきちゃったんだろう。迷惑極まりない存在だよ。
もって夏休みまでだろうな、オレ。
30くらいまで下がったな
今日は医者にいくのをサボりました。予約料と違約金が飛んでいきますね。
学校にも行きませんでした。みんなは英語の中間テストやってるのでしょう。
今日はオレの誕生日でしたね。でも誰も気に留めてくれなかったのでした。馬鹿みたい
新居に移ってスペースに余裕ができたら最初に手に入れようと思っていたのがこれ、小型の自販機。ちゃんとコインを入れてボタンを押すと飲み物が出てくる。家庭での使用を考えると本来は不要なディスプレイ部とギミックはわくわく感を生み出す。実用性も兼ねたいいおもちゃである。
弟の大学入学祝いに「ブラックジャックによろしく」のDVDボックスを買ってあげたので少しずつ見ている。医療制度の構造に起因する問題とそれに対する患者の医療不信というものが存在するのだ、という認識を新たにしつつある。
ところで、ネット上でこういう記事を見つけた。治療で行われるインフォームドコンセント、特に精神疾患の治療においての重要性が主張されている。
説明することの臨床的意義
http://www.ebata-clinic.com/rinshou/index.html
1991年に国連総会において採択された「精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの改善のための諸原則」の中で、インフォームドコンセントを実施する際に、患者に伝えられるべき情報として次の4項目が挙げられている。診断上の評価、提案されている治療の目的、方法、予測される期間及び期待される効果、より侵襲性の少ない方法を含む他に考えられる治療法、提案されている治療において考えられる苦痛、不快、危険及び副作用である。
我が国においては、平成15年9月に厚生労働省が「診療情報の提供等に関する指針」を医政局長通知として発表している。それによれば、「医療従事者は、原則として、診療中の患者に対して、次に掲げる項目等について丁寧に説明しなければならない」としている。現在の症状及び診断病名、予後、処置及び治療の方針、処方する薬剤について、薬剤名、服用方法、効能及び特に注意を要する副作用、代替的治療法がある場合には、その内容及び利害得失(患者が負担すべき費用が大きく異なる場合には、それぞれの場合の費用を含む。)、手術や侵襲的な検査を行う場合には、その概要(執刀者及び助手の氏名を含む。)、危険性、実施しない場合の危険性及び合併症の有無、治療目的以外に、臨床試験や研究などの他の目的も有する場合には、その旨及び目的の内容である。
しかしここで言われているような理想的な説明が患者になされている診療のケースはあまり多くないように思う。原因は言うまでもなく医者が忙しいからだろうと予想される。多くの患者を次々に捌いていかないと患者を診きれないのだろうが、患者側としても時間とお金を割いて、助けを求める気持ちで来ているのになかなか満足のいく医療を受けられないと言うのは不幸なことである。
治療者との相性というものもあるが、患者が信頼のできる診療機関を探すことは容易ではない。短期間でコロコロ診療機関を変わるのは好ましくないし、同じ診療機関内で「自分とあってないかな」と思っても担当を変えて欲しいと言い出すのはやはりちょっと言いにくい。医者に行き慣れていない患者にとってどこの診療機関にかかったらいいかという情報はなかなか手に入らなく、特に鬱の症状が出ていると判断能力が低下し外出も困難になるくらいなのだから医者を探すと言うことがどんなに大変なことか。
かくして患者は、通院しながらも明るい未来と希望を持つことができないまま、効いてるのかどうかよくわからない薬をもらってなるに任せるしかないのである。
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