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January 15, 2007

大学を選ぶこと(プレスリリースです)

長文ですが、去年一年間「おいおい話す」と言ってきた事の大半がこのエントリの中で説明されているかと思います。


埼玉まで行ってきたのは、古文を教えて頂いている恩師に大学選択の決断をするのに後押しをしてもらえるかなと思ったからでもある。このところずっと悩んでいたことは、ある、狙いの大学に入ろうかそれとも別の大学に行こうかという決断を迫られていることだった。

神戸夙川学院大学。この春開学する観光文化学部の大学だ。つまりここの第1期生になるかどうか。もともと観光という分野は興味があり、去年は旅行管理者の資格の勉強もしたりしていたが、こういった大学ができるという話は全く予期していないもので、ここを紹介されたときは何か巡り合せの様なものも少し感じた。説明会を聞きに行って教授になる方々とも話をし、そこそこ良い感触を得られた。面白そうな授業がたくさんある。そして大学側も、少し変わった経歴を持っているオレのような人間には興味を示してくれているようだとも感じた。その大学で授業を受けている自分の姿を想像することも難くは無い。

それまで漠然とでは在った「大学で学びたい」というオレの意志をより具体的なものにさせるには、万博という経験が大きな影響を与えた。サービス業の面白さを享受し、プロフェッショナルを目指したいという思いが芽生えたのと同時に、世界の国々や多様な物の考え方に触れた体験は刺激的で、そして未熟なオレに学習の必要性を感じさせた。世界の地域、環境、歴史、文化、民族、人類がどこから来てどこへ向かっていくのか、地球的規模で考えること、相互が理解するために何が必要か、まだまだ多くのことを知る必要がある。コミュニケーションを図るためのツールとして語学も必要だ。

この学校で、必要な多くのことは学べそうであるが、しかしほんとにこの学校でいいのか。後悔しないだろうか。自分の気持ちに正直になってみると、東京の名前の知れたいくつかの学校に行きたいという気持ちも確実にある。メディアを通して各界で活躍する人たちの経歴を見ていると、やはり有名な大学の名前が次々に出てくる。有名な大学に入れば安心だ、などとは考えていない。そうではなくて、有名な大学では素晴らしい教授や学生に出会える可能性も高いだろう。本気で目指す気があるなら君は手頃なところで妥協するべきではない、と先生はおっしゃった。正直、揺れた。お互いに酒が入った状態での話であったが、記憶は確かだ。それは自分でも感じていたことだ。もう一年かかっても、しっかり勉強して万全な状態で入試に臨み大学に行きたいという思いもあるし、一年でこの予備校を出ることは滅茶苦茶うまくことが進んだらのことだと思っていた。

答えは出してくれなかった。結局自分で、自分の責任において、決断するしかないのだと悟った。でも話せたことで吹っ切れたところがある。人生においてほんとに自分が何をしたいかなんてことはそんなに早いうちからわかるものじゃない、とも先生はおっしゃった。興味があることはまずやってみよう、と。この大学に入ろうと思う。実は、先月AO入試を受けてきて、もう合格通知はもらっている。

とにかくこれからの4年間はがむしゃらに吸収できるものを吸収してみようかと思う。そして4年後、次の道もまだ確実なものではないが描き始めている。観光業界に就職するのかって、別にそんな狭める気はない。ここでは観光以外のあらゆるサービス業に必要なことが学べるだろうし、そもそも就職するにしたって他の新卒学生と同じ土俵に立とうとは思っていない。


先日読んだ、「大学でなにを学ぶか」隅谷三喜男(岩波ジュニア新書)。古本屋でタイトルにピンときて即買いしてしまったが初版は81年に書かれていて、社会の中での大学の位置づけや引用されているデータが、既に今とは事情の変わっている部分もある。が、根本的な部分で非常に有意義な示唆を与えてくれた。

かつてエリートだけが行くものであった大学は、大衆化し、大半がマスプロ大学となったこと。科学が飛躍的に進歩し、昔に比べれば専門課程で学ばなければいけないことが拡大し時間が足りないくらいで、相対的に教養課程の比重が下がっていること。情報洪水の時代にあって、新聞やテレビを通して日常で処理しなければいけない情報が格段に増えていること。(この本が書かれた当時にはなかったインターネットが浸透した今ではこの傾向はなおさらであろう。)筆者はこの本の中で学生は「教養派」と「職業派」に分かれるという。欲張りなオレはどちらでもありたいと考えているから、やっぱり時間が足りなくなるのではないか。いずれにせよ、本質が何かを捉え時間を無駄に使うことのないようにしたいものだ。

以下は、11月に大阪に行った後書いて公開していなかったエントリからである。
――――
先日大阪を訪れたのはある大学の説明を聞きに行くためであった。夜はこちらの友人二人と会った。直前に伝えて時間を作ってくれる友人に感謝である。一日のうちにとてもわくわく気分の高揚する話と凹まされる話を聞いて戸惑い気味。

自身のポリシーとして、やってもいない、できもしないことを「やればできる。」などと意味あり気に吐くのは最大の言い訳だと思っているので言わないし、(といってここに書いているわけだが)、人前で言うときは、ある程度目標までの展望が開けてきた時にすることにしている。

今、大学に進学したいという思いがある。今更何が勉強したいのと聞かれて、これっというのを一つに答えられないのは歯がゆいが、考えれば考えるほどいろんなことに興味が湧いて絞れないでいるのが正直なところだ。とにかく、高校をろくに行かずに辞めたということもあって一般的に持っているべき基礎的な知識は入れておきたいというコンプレックスに近いものがあるだろうし、哲学的に物事を考えることとか思いっきり学問に没頭することもしてみたい。この期に及んで、モラトリアムを求めているのは、甘いと思われるかもしれないが。

ひょんなことから、とある大学を紹介された。カリキュラム等を見るにとても面白そうで、大学としても悪くはなさそうだ。ただ、今が進むべき時なのかはわからない。春から進学を視野に入れて勉強を続けてきたが、正直まだ大学に入るまでに達しているべきレベルに到達しているとは思っていない。他の大学は受からないが、ここなら入れるので入った、と思われるのは癪だ。これからもう一年間勉強を積めば満を持した状態で大学受験に望めるだろう。

先に書いた友人は、やっとのことで落ち合った茶屋町の飲み屋で、人生の先輩としてアドバイスというか、好き放題言われただけというか、・・・まあ参考になる話を聞かせてくれた。御一方は(何と言っていいのか、ずばっとくる職名がよくわからないが)企業の新卒採用のwebエントリーを引き受けている会社の人で、就職の現場を生で見ているだけにリアルな実情を聞かせてくれた。曰く、就職において関関同立のような名門校の名前は圧倒的な力があり、本格的な就活が始まる前からそういうところには声がかかっているものなので、企業の採用枠もそういうところから順に埋まっていくところが依然としてあるのは事実、と。

オレは基本的には偏差値至上主義-大学入学時のある一点でのテストの出来がその後の人生を大きく左右する-には異を唱えるが、入試のために他の欲望を抑制しひたすら勉学に励むなんて素敵(半分冗談だが。意味のあること)だし、人生の中でそのような鍛錬の時期はあってしかるべきと思う。大学の名前である程度評価されるのは事実なのだろうし、膨大な学生の中から効率的に選別をするのに有効な手法なのだろうとも思う。ただ多種多様な職があり、それに適した人材が必要とされる中で、ペーパーテスト(つまりは記憶力と受験のテクニック)のみで人間の能力を評価することはあまり賢いとは思えない。


その日は悶々とした思いを抱いたまま帰る事となった。っていうかネカフェを探して歩き回った!
――――


「クルージングも勉強です」神戸夙川学院大学が新設の観光文化学部をアピール【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】

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Comments

僕も、偏差値至上主義には異議を唱えるけど、最近は脱偏差値思考が強いらしいよ。
例えばK塾の模試で○○大学にA判定が出たとしてもその大学の出題傾向とは全く違うからあてにならないしね。
でも、唯一試験に同意できる点はもうほとんど自分との戦いってことかな。
自分の処理能力の限界を試したりとか。

名門大学の就職率が高いのはほとんど、企業がいかに金をかけずに有能な人材を捜すかという事かなと思う。
もちろん大学なんか出て無くて有能な人はいるけど、そんな人をどう捜すのかというとなかなか難しいしお金がかかる。
そこでいわゆる名門大学を出た人は有能な可能性が高いから、あえて条件を設定することで企業は探すのにあまりお金をかけず欲しい人材を確保できるということかな。
そいういうようなことを、村上龍が言っていたような気がする。違うかも知れませんが。
でも、受験勉強をしていて感じたのは明らかに自分の出力系が鈍っているということです。
はっきり言って、2,3年前まで同世代の人たちを見て表現が出来ていないのではと思ったのですが、この状況になるとそうならざるを得ないと思ってきた。
その点が問題だと思う。
と、全く境遇が違う僕が長々とすいません。
でも、西日本では東海地方の大学と地域についてほとんど
意識がとんでしまっているのに東海からは西日本にけっこう人が行くんだね。
何故か、周りの人も東海以外の大学には行っていて「あーっ」と思ったりするんだけど。
今だに、N山大学をといわれても頭では分かっていても
心からすごいと思えません。
それに、進学校を出た人に聞いても「どこ?」って言われました。

Posted by: ken yamagata | January 17, 2007 at 16:43

名古屋飛ばし(軽視)な傾向は何に原因があるんだろうか。


偏差値ってどこまで信用できるのでしょうか。
他に適当な指標が無い中で、ある程度の目安にはなるんだろうなと思いますが、
模試の結果で一喜一憂したりする意味がわからない。
それで志望校を選んだり。

受験勉強自体は別にいいことだと思うのです。
ただ受験に特化した変な勉強の仕方になってしまいがちなのはどうかなあと思います。
それで大学入って結局何が残るんだろうと。

ごめん、あんまり考える時間が無いので適当なレスです。

>名門大学の・・・

上にもこうやって書いたけど、まあそういうことなんだろうねぇ。
>膨大な学生の中から効率的に選別をするのに有効な手法なのだろうとも思う。


>はっきり言って、2,3年前まで同世代の人たちを見て表現が出来ていないのではと

ここんとこ詳しく知りたいね
勉強のこと?

Posted by: masaking | January 18, 2007 at 23:48

おそらくですが、名古屋飛ばし的な傾向はテレビからきているところが強いんじゃないでしょうか。
少なくとも、関西で写るテレビ番組を見ている限り名古屋が写ることは希にしかないし、全国ネットの番組でも関西、関東という二大区分で行われていてやはり扱いは3大都市というわりには軽視されているよね。
しかも、写ったときは珍しい物扱いされているしね。
あと、数々の偏見が・・・・。
でも、東海地方の滋賀とばしもスゴイよ。
まず、市町村の単位を全く無視だよね。
意識の範囲が滋賀なんだよ。
そんな全域しってろっちゅうんかというぐらいにね。
しかも、京都の京都市以外の場所や大阪の中心部以外の町がどういう状況なのか理解していない人が多いし。
ホントに何もないよ。
その点、最近滋賀県は関西枠のテレビで若手のキャスターが
滋賀県軽視発言をすると、重鎮達が、あそこはもうそんなことはないからと注意するようになったしね。
それに、JR西日本ラインは人口急増だしね。全国でも屈指の。
つまり、近くて遠い都市。

あと、あそこは。勉強の事かなと思う。
うーん。書いてから思ったけど、何か自分が考えたことが矛盾しているよな気がする。

確かに、総合学習の時間とかがあって、自分で調べて発表するみたいな授業をしたのに受験では推薦入試とか以外では無視だよね。
ネットでは総理大臣や文部科学大臣の発言について、「ゆとり教育もここまできたか」と大臣達がゆとり教育なのかと思えるおもしろいことをいったりしてるよね。

Posted by: ken yamagata | January 19, 2007 at 08:09

なるほどね。
言われて見れば、当たり前のこととして知ってることなんて、
自分の生活してるごく狭い範囲のことだけだね。
あんまり都道府県単位でものを見ることってないのかも。
大津にしろ名古屋にしろ。
折りしも愛知県知事選の最中ですが。


AO入試とか多様な入試制度がちょいちょい広まりつつあるのはいいことなのかな。
そういえば知らないうちに、
最近は高校でも職業体験とか就業意識を高めることをやってるところが多いそうで、これは役立つと思う。

でも「ゆとり」もね、相当迷走してる感があるけど
週休二日制を撤廃するなんて話も出てきたらしいね・・・ククク

Posted by: masaking | January 24, 2007 at 01:28

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