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November 07, 2006

「下山事件(シモヤマ・ケース)」(森達也/新潮社)

下山事件

下山事件(しもやまじけん)とは、第二次世界大戦敗戦後の連合軍による占領中の1949年(昭和24年)7月5日、時の日本国有鉄道(国鉄)初代総裁・下山定則(しもやま さだのり)が、出勤途中に公用車を待たせたまま三越日本橋本店に入り、そのまま失踪、15時間後の7月6日午前零時過ぎに常磐線・北千住駅―綾瀬駅間で轢死体となって発見された事件。事件の真相が不明のまま多くの憶測を呼び、「戦後史最大の謎」と呼ばれる。また、同事件から立て続けに発生した三鷹事件、松川事件と合わせて国鉄の戦後三大ミステリーとも呼ばれる。

下山事件 - Wikipediaより

戦後占領下の日本で、軍国主義を廃し民主的な日本を作ろうとしたGHQは財閥を象徴とする旧支配勢力を弱体化させる対抗勢力として共産主義勢力を容認したが、GHQの想定以上に浸透し労働争議が広がり社会的混乱を招くようになると方針を転換、共産主義の追放を始めた。鉄道省から変わって誕生する国鉄で、下山は人員整理(労働組合員の大量解雇)を最たる使命として初代総裁に据えられ、そして謎の死を遂げた。

下山事件が「事件」と為ったのは、下山が自分で線路に横たわったのか、あるいは別の場所で殺されてから線路に横たえられたという説が浮上したからである。周辺は大いに割れた。司法解剖を行った東大法医学教室は下山総裁の遺体の傷に「生活反応」が認められない事から死後轢断と判定。しかし鑑定の再評価をした慶応大学法医学教室は轢断死と主張。警視庁内部でも捜査一課は自殺とするが捜査二課は他殺の線で捜査。報道も毎日が自殺、朝日と読売は他殺説を載せた。だが決定的な結論は出ぬ内に捜査本部は突然解散させられ、後日「文芸春秋」と「改造」に自殺とする内部報告書がリークされた。労組犯行説やアメリカの陰謀説も飛び交うが、結果としてこの事件の影響でGHQと政府の描いたとおりスムーズに進行していく。

様々な本をひたすら読む牧野基礎教養ゼミで下山事件を取り上げた牧野先生曰く、「現代日本史を知る上で避けては通れない事件。下山事件を知らない日本史の教師なんて、モグリだよね。」。読んでいくうち、この話は作り話かと錯覚しそうにもなるできすぎたミステリーに先を読む意欲を掻き立てられながら読んだ。

下山事件の直後に起きた松川事件-東北本線松川駅手前のレールの継ぎ目板が何者かに外され走行中の上り旅客列車が脱線転覆した事件。国鉄労組と日本共産党の謀議との世論操作がされ、関係者が逮捕されたが14年の法廷闘争の末無罪が確定。-では、弁護団にいた松本善明のお手伝いが誘拐されるという事件も発生した。お手伝いは松本について犯人から尋問された後、隙を見て脱出するが後に入院先の病院で急死。そしてお手伝いの入院した病院の担当医も転落死した。


僕は答える言葉がない。サスペンス映画もどきいう形容を人はよく使うけれど、一九四九年に端を発するこの時期において、日本はまさしくその状態にあったということなのか。冷血な男たちは闇に跋扈し、様々な謀略が積み重ねられ、警察や検察は組織的な隠蔽や工作に耽り、冤罪はくりかえされ、そして、不都合な命は、あっさりと消される。何の価値もないかのように。何のためらいもないかのように。(p.106)

この時代の日本に流れていた、暗然たる空気を想像するに難くない描写である。下山事件の闇は相当深い。取材していく過程で数少ない関係者に話を聞くが皆肝心のことには固く口を閉ざす。事件に関与した人物と極めて近しい存在にあったとされる矢板玄はこう語った。「まだしゃべる時期ではない。我々日本人は、対立する世界の中でアメリカ側に立っているのだから」。そして墓場まで持っていこうとする。


ここ数年で、下山事件に関する本が3人の著者からそれぞれ発行されている。すぐには成果の上がらない難しい取材故に、発表の場や取材経費の問題で、協力を申し出られたり、打ち切られたりといった事情に翻弄される。共同で行った取材をベースにしている部分があるため、同じ場面がそれぞれの著書でそれぞれの著者に描かれている。「週刊朝日」誌上で連載が行われることになり、首を突っ込むことになる朝日新聞記者、諸永裕司が書いた「葬られた夏 追跡 下山事件」(02年12月刊)。フリーのテレビディレクターで映画監督の森達也が出したこの本「下山事件(シモヤマ・ケース)」(04年2月発刊)は、彼の取材の進捗を綴った日誌といった趣がある。あるいは(下山事件について調べだした者は果てしなくのめりこんでいくという)下山病に陥っていくさまを記録したともいうべきか。結末のほっぽりだされた感じは、テンポよく進んできただけに多少の物足りなさを感じた。ここはやはり、森の本では終始『彼』とされている、下山事件の話を持ち寄った張本人(正確には映画監督の井筒和幸が紹介した)、柴田哲孝の告白「下山事件 最後の証言」(05年7月刊)をもう一度読もうと思う。

下山事件資料館

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Tracked on November 08, 2006 at 17:59

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