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November 07, 2006

読書メモ:「日本の歴史25 日本はどこへ行くのか」(講談社)

第一章 二十世紀の語り キャロル・グラック p.11
第二章 日本のアジア観の転換に向けて カン・サンジュン p.63
第三章 マイノリティと国民国家の未来 テッサ・モーリス=スズキ p.101
第四章 「混成的国歌」への道-近代沖縄からの視点 比屋根照夫 p.143
第五章 <歴史>とアイヌ 岩崎奈緒子 p.193
第六章 象徴天皇制の未来について タカシ・フジタニ p.233
第七章 国民の物語/亡霊の出現-近代日本における国民的主体の形成 ハリー・ハルトゥーニアン p.279

全体的に難しかった。オレの語彙力では単語単語でつまづかずには先にいけなかったので結構時間がかかった。中でも比較的読みやすく、テンポよく読み進めていくことができたのが第三章と六章。

覚え書きとして記しておく以上の意味は特にないのだが、興味を持った部分をここに少し長くなるが引用しておく。

日本はよく移民数の低い国と考えられている。たしかに、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ラテンアメリカの多くの国々と比べて、日本の移民数が比較的低い水準を示してきたことは間違いない。しかし、入ってくる移民も出ていく移民もひじょうに少ないきわめて自己完結的な国という日本にかかわるイメージは、高度成長期の経験のみの一般化に基づいている面がたぶんあるのだろう。一九五〇年代後期から七〇年台半ばの高度成長期に、日本は移民の出入りの際立って少ない時期を経験した。しかし、より長期にわたる歴史的観点からすると、高度成長期は常態というよりは、むしろ例外と見ることができる。(p.133)

ここで思い出されるのは、境界を越える人間の動きを取り締まる制度がごく最近の産物であり、過去一世紀ほどの間に繰り返し変化してきたということだ。2節で見たとおり、日本国籍の境界も(他の国の国籍と境界と同じく)拡大したり縮小したりしてきた。植民地臣民は当初“日本臣民”と再定義され、その後、戦後の時期にふたたび“日本国籍”から排除された。他方、国民国家を取り囲む国境管理制度もまた、変化してきた。今日、私たちが当然だと思っている管理制度は、驚くほど起源が新しい。十九世紀の大半は、流れが全般として国内移住においても国際移住においても管理緩和の方向に向かい、人間の自由な越境移動は、しばしば自由貿易の必然的帰結と見なされた。多くの先進工業国で管理が強化され始めたのは、ようやく第一次大戦頃になってからであり、(例えば)旅行書類としてパスポートの使用が標準として広く普及した。一九三〇年代になってもまだ、日本と中国のあいだをパスポートなしで旅行することが可能だった。このように、国籍をすなわち国民国家の成員資格と想定し、国境を越える移動をパスポートとヴィザという平準化された制度で取り締まる現在のシステムは、戦後すぐの時期までは成立していなかった。(p.135)

二十世紀を通じて、地球規模での国民国家システムは、国境を越える人間の移動を規制するためのよりいっそう明確で正式で平準化された制度を発達させた。パスポート、ビザ、労働許可証、国境検査の諸制度である。しかし、国民国家は同時に、社会問題や経済問題への処方箋としての移民をしばしば欲した。移民を求め、また制限したいというこの二つの欲求の組み合わせが、ほとんど全ての近代国民国家住民の内部に、アイデンティファイ可能な“マイノリティ”を多数存在させる一因となったのである。(p.137)

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