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October 24, 2006

「帝都東京・地下の秘密」(洋泉社)

「写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密」(洋泉社)を読んだ。執筆者の秋庭俊氏はこれまでに東京の知られざる地下空間をテーマにした本を多数書いている。東京の地下には戦前から、公にはされない、軍事目的で作られた地下空間や秘密のトンネルが多数存在するが、その目的ゆえに明らかにされていない。地図を手に地下街や地下駐車場などを歩くことで、これらの隠された「疑惑」が浮上してきた、とするもので、一部にちょっとした地下ブームを巻き起こしている。他方、Amazonの書評等を読むと、文章の構成が下手で起結が一致しない、図表がわかりにくく土地勘の無いものには地理を理解しづらい、検証が甘く憶測の域を出ない疑問を呈すのみに終始している、いやそれはむしろ深く書くことができない何らかの力が働いている事情を表している等の意見もあるが、トンデモ本と評する向きもあるようだ。

余談だが、先日テレビで放映された「踊る大走査線」のスピンオフ映画「交渉人 真下正義」では、東京の地下鉄を舞台に犯人が遠隔操作する業務用車両(フリーゲージトレイン実験車両)の暴走を題材にしていた。映画の中で、犯人操る車両は「わき線」と呼ばれる、非常時の政治家の避難用に作られている極秘の線を使い、複数路線を自由に乗り換えながら走り回る。この脚本も一連の著作から着想を得たのではないかとも思える。実際に異なる路線を繋ぐ渡り線や連絡線は、新車の搬入や工場での検査のため送り込み回送を実施するために存在する。例えば、名古屋では桜通線の車両を鶴舞線の日進工場に回送するための連絡線が丸の内駅にあるが、これは通常営業車両が走ることはないので路線図には書き込まれていない。特に極秘というわけではないが、必要性も無いので積極的に公表されてもいない線路はこのようにしてある。

話を戻して、最新作のこの本(06年9月刊行)では、東京駅とその周辺の地下を扱っている。本書は三部構成でPart1では、東京駅の地下をタイトルどおり、写真と地図で解説している。自分が探検しているような感覚が味わえ面白い。現在は一般が利用できない地下通路が開業の頃からあり、それは中央郵便局との間を結んでいたもので、しかもそこには線路が敷かれ郵便物の貨物輸送をする小型の電気機関車が走っていたという写真も載っている。Part2では東京駅の誕生から現在進んでいる計画までの歴史を追っている。日本を代表する駅として歴史の舞台にもなってきた、東京駅がどのように変遷していったかがよくわかる。まだ江戸城が海に面していた頃から振り返り、「丸の内」という地名の由来、やがて埋め立てられ荒涼とした空き地だったこの地に南から線路が延びてきて駅が誕生、天皇の駅として使われていた頃、戦後GHQに接収されていた時代、そして復元工事が行われている現在。東京駅が誕生してからまだ100年も経っていないが、どんどん形を変えていった歴史を物語る。

問題の秋庭氏が書くPart3だが、東京駅地下一階は無駄に広く、丸の内線東京駅の有楽町側には半径162.716(m)という半端な数字のカーブがあるという指摘がされている。丸の内線には半端な数字のカーブが6箇所あるといい、赤坂見附で見られる182.881というカーブは戦前に使われていた単位ヤードに直すとぴったり200だという。つまり丸の内線は戦前からあったのだという。

ここで歴史を振り返っておくと、日本初の地下鉄は1927年(昭和2年)12月、現在の銀座線浅草~上野間で当時の東京地下鉄道が開業した。その後徐々に遠心されていき、1934年浅草~新橋間が完成。一方東京高速鉄道という別の会社が1939年1月15日に新橋~渋谷間を完成させ当初別々に運行していたが、同年9月両者の線路を繋げて直通運転を開始した。その時から新橋駅は東京地下鉄道の新橋駅が使われるようになったのだが、東京高速鉄道の新橋駅は今でも留置線として使われているものが残っている、というのは一部には結構有名な話。( 幻の新橋駅に行ってきた)その後地下鉄の建設は太平洋戦争に突入したためストップし次の線が開業したのは1954年1月20日、丸の内線の池袋(仮)~御茶ノ水間となっている。

赤坂見附駅は2階建てになっていて銀座線と丸の内線はホームを挟んで左右に並ぶ構造になっている。秋庭氏はここで、戦前に開業していたのは銀座線だけとなっているが、赤坂見附駅は当初から二層構造で開業している。これはもう1路線が戦前からあったからだとしている。

ここで「鉄道ファン」2003年2月号の記事を引用する。


銀座線と丸の内線が接続する赤坂見附の駅は、地下で島式ホームが上下2段構造となっている。同じホームの両側に銀座線と丸の内線の列車が停車してそれぞれ簡単に乗換えができる方向別配線でもある。そして、溜池山王方のトンネル区間でも銀座線と丸の内線が並走し、ここに銀座線と丸の内線を結ぶ渡り線が設けられている。
この渡り線を通る定期列車はないが、銀座線車両を工場検査などのために丸の内線沿線にある中野車両基地に回送するのに使われている。また、隅田川花火大会の花火ライナーなど丸の内線から銀座線に直通するイベント列車などにも使われている。なお、丸の内線車両は銀座線車両より一回り大きいため、丸の内線車両がこの渡り線を通って銀座線に入ることはできない。イベント列車の場合も銀座線車両が丸の内線に乗り入れる。

このような駅構造は、戦前に東京高速鉄道が赤坂見附駅を建設した時に、新橋-四谷見附-新宿間の通称新宿線の構想があり、新橋-渋谷間と合わせてY字形の路線計画を持っていたことから、島式ホーム上下2層構造の構築が最初から造られていた。この新宿線の構想は戦後開通した丸の内線に引き継がれ、丸の内線開通時に両面ホームの使用が開始されている。ただし、戦前の計画より丸の内線車両が一回り大きくなったことから、戦前に造られた丸の内線部分の構築は新しく作り直され、同時にホームも拡幅されている。地下鉄接続駅で有数の利便性の良い駅として、先人の先を見越した計画が生かされている。

これが全て説明してくれてしまっている。というわけで、氏の言う、戦前の東京には(銀座線以外の)地下網が整備されていたという説はちょっと信じがたいのだけれど、半端な数字がフィートで計測された数字という発想は面白い。この本に確証のある話は書かれていなかったが、戦前・戦中に使われていた防空壕や何らかの地下施設が、戦後急速に開発が行われた時代に再利用されているという事実はあるのかもしれない。現代我々が暮らしている地面の下にはライフライン関係の構造物や貯水槽を始めとして、それは想像を超える無数の空間が広がっているのだろう。マンホールの下はロマンで溢れている。そういえば、ナゴヤドームの下は名城線の車庫になってるって話も結構有名だよね?

秋庭俊氏が指摘する東京の「巨大地下網」の存在。 Narinari.com
そらめく日々: 『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

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Comments

>ナゴヤドームの下は名城線の車庫になってるって話も結構有名だよね?
大幸車庫ですね、砂田橋まで開業するときにトンネルウォークイベントで中に入った事ありますよ

Posted by: @一周年 | October 25, 2006 at 22:03

わっ、いいな!
工場開放とかあんまり行ったことないのよね。
テレビで見ただけだけど大幸車庫は地下なのに広くて明るそう。

Posted by: masaking | October 27, 2006 at 03:46

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