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October 27, 2006

「ご利用できます」微妙な日本語

ご利用できます

文化審議会国語分科会が敬語の使用法をQ&A方式で示した指針案をまとめた、というニュースを聞いて、見たいと思ったのだが文科省のサイトにも載っていない。一般からの意見を聞いた上来年二月に文科省に答申するとのことなので、これからリリースされるのだろうか。ネット上の記事にもほんとんどなっていないようで、検索に引っかからないのでやっぱり紙のメディアは必要だなぁと思う。指針案では、従来の「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の分類に「美化語」を加え、「謙譲語」をⅠとⅡに分けたのも注目するところだ。


敬語の誤用に歯止め、文化審議会が指針案
(NIKKEI NET)

さて今日はまず、「ご~~できる」という表現から取り上げてみよう。可能の意味を表す「~~できる」という表現だが、相手に対しての尊敬と同時に使うとちょっと変な言い回しになる。自分のことを謙譲表現で「(私は)ご案内できる」「明日にはお渡しできる」と使うなら良さそうだ。「(お客様は)ご利用できます」ではなく、「利用できます」か「ご利用になれます」とするべきである。のっけから載せた写真の名古屋市交通局の例は明らかな誤用と言える。しかしこれだけ正面切って堂々と活字にされると、間違ってるとは言え無いような、指摘するにも自信がなくなってくる。

電子辞書に収録されていた(こんなものまで入ってる!)「日本語○×辞典」(学研)によると、「ご利用いただけます」も良いとのこと。しかし以前見た、「タモリのジャポニカロゴス」(CX)では「ご利用いただけます」が間違いとされていた。それから気になって街中の看板なんかを見ていたのだが「ご利用いただけます」は実際かなりの頻度で使われている。オレも「ご利用いただけます」を誤用とするのにはやはり抵抗がある。この番組によれば「申し訳ありません」「申し訳ございません」も誤用であるとのこと。

その理由は「申し訳ない」で一つの単語であり、「あぶない」を「あぶありません」、「とんでもない」を「とんでもありません」「とんでもございません」とするのは間違いとするのと同じ理由である。・・・いや、待てよ?確かに「とんでもございません」は可笑しいので、「とんでもないです」「とんでもないことでございます」と言う様にとは、耳たこだが、「申し訳ございません」も同じだろうか。「申し訳ございません」が間違ってるとは相当な無理があるように思う。万博でも接客10大用語で毎日暗誦してたぜ?この番組は金田一秀穂先生が監修しているが、どうだろう?


万博では、北ゲートにあった「公式記念品ショップMatsuzakaya」に登場した「お入口」の看板が記憶にある。お入口とはあまり聞き慣れない言葉であり、多少の違和感がある。お客様の声として指摘も上がっていたし、新聞の投稿欄に「国際博覧会のような場でいかがわしい日本語を使うのはいかがなものか」とまで載っていた気がする。ただこれは、「お出口」という言葉が比較的受け入れられていることを考えれば、「出口」が良くて「入口」は悪いというのは根拠に欠ける気がする。この言葉、百貨店業界では普通に使われている言葉のようである。確か松坂屋美術館でも「お入口」の表示は見た気がする。googleで検索してみると、「お出口」には20000件ヒットするのに対し、「お入口」はわずか287件でしかも「お入口」は可笑しいと指摘するページが結構引っかかった。

名古屋市交通局では、地下鉄の一部の駅で「○○方面は前の階段がご便利です」という案内放送が流れている。(参考)「ご便利」という言葉も微妙な美化語である。これもまた聞き慣れないところが違和感を覚える原因で間違いとは言い切れないように思う。また万博の話をするが、手前の道よりも奥の道から回った方が近いという場所があり、案内の表示を作ることになったので、オレは「ご便利」を使うことを提案したのだが、それは可笑しくないか、正しいと言い切れない表現を使うのはやめておこうという判断で回避された。ちなみに美化語の原則は、漢語の頭には「ご」を、大和言葉から来たものには「お」を、外来語や極端に長いものにはどちらもつけないとするが、例外もあるようだ。


言葉は生き物と言われるように、変わっていくものだし、過渡期にあるものや、はっきりとどちらと言えない物もある。しかし明らかに普通の感覚で可笑しいという表現が大手を振って出回るのは、言葉に対する関心の低下を表しているように思う。可笑しな表現も見慣れるようになるとやがて市民権を得てしまう。公的な表現に携わる人にはチラシ一つとっても十分に気をつけて欲しいものである。

くそ、もうこんな時間だ。ネットで調べ物始めるとこれだから困る。ネットの使用は控えてたんだが、つい。

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October 24, 2006

「帝都東京・地下の秘密」(洋泉社)

「写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密」(洋泉社)を読んだ。執筆者の秋庭俊氏はこれまでに東京の知られざる地下空間をテーマにした本を多数書いている。東京の地下には戦前から、公にはされない、軍事目的で作られた地下空間や秘密のトンネルが多数存在するが、その目的ゆえに明らかにされていない。地図を手に地下街や地下駐車場などを歩くことで、これらの隠された「疑惑」が浮上してきた、とするもので、一部にちょっとした地下ブームを巻き起こしている。他方、Amazonの書評等を読むと、文章の構成が下手で起結が一致しない、図表がわかりにくく土地勘の無いものには地理を理解しづらい、検証が甘く憶測の域を出ない疑問を呈すのみに終始している、いやそれはむしろ深く書くことができない何らかの力が働いている事情を表している等の意見もあるが、トンデモ本と評する向きもあるようだ。

余談だが、先日テレビで放映された「踊る大走査線」のスピンオフ映画「交渉人 真下正義」では、東京の地下鉄を舞台に犯人が遠隔操作する業務用車両(フリーゲージトレイン実験車両)の暴走を題材にしていた。映画の中で、犯人操る車両は「わき線」と呼ばれる、非常時の政治家の避難用に作られている極秘の線を使い、複数路線を自由に乗り換えながら走り回る。この脚本も一連の著作から着想を得たのではないかとも思える。実際に異なる路線を繋ぐ渡り線や連絡線は、新車の搬入や工場での検査のため送り込み回送を実施するために存在する。例えば、名古屋では桜通線の車両を鶴舞線の日進工場に回送するための連絡線が丸の内駅にあるが、これは通常営業車両が走ることはないので路線図には書き込まれていない。特に極秘というわけではないが、必要性も無いので積極的に公表されてもいない線路はこのようにしてある。

話を戻して、最新作のこの本(06年9月刊行)では、東京駅とその周辺の地下を扱っている。本書は三部構成でPart1では、東京駅の地下をタイトルどおり、写真と地図で解説している。自分が探検しているような感覚が味わえ面白い。現在は一般が利用できない地下通路が開業の頃からあり、それは中央郵便局との間を結んでいたもので、しかもそこには線路が敷かれ郵便物の貨物輸送をする小型の電気機関車が走っていたという写真も載っている。Part2では東京駅の誕生から現在進んでいる計画までの歴史を追っている。日本を代表する駅として歴史の舞台にもなってきた、東京駅がどのように変遷していったかがよくわかる。まだ江戸城が海に面していた頃から振り返り、「丸の内」という地名の由来、やがて埋め立てられ荒涼とした空き地だったこの地に南から線路が延びてきて駅が誕生、天皇の駅として使われていた頃、戦後GHQに接収されていた時代、そして復元工事が行われている現在。東京駅が誕生してからまだ100年も経っていないが、どんどん形を変えていった歴史を物語る。

問題の秋庭氏が書くPart3だが、東京駅地下一階は無駄に広く、丸の内線東京駅の有楽町側には半径162.716(m)という半端な数字のカーブがあるという指摘がされている。丸の内線には半端な数字のカーブが6箇所あるといい、赤坂見附で見られる182.881というカーブは戦前に使われていた単位ヤードに直すとぴったり200だという。つまり丸の内線は戦前からあったのだという。

ここで歴史を振り返っておくと、日本初の地下鉄は1927年(昭和2年)12月、現在の銀座線浅草~上野間で当時の東京地下鉄道が開業した。その後徐々に遠心されていき、1934年浅草~新橋間が完成。一方東京高速鉄道という別の会社が1939年1月15日に新橋~渋谷間を完成させ当初別々に運行していたが、同年9月両者の線路を繋げて直通運転を開始した。その時から新橋駅は東京地下鉄道の新橋駅が使われるようになったのだが、東京高速鉄道の新橋駅は今でも留置線として使われているものが残っている、というのは一部には結構有名な話。( 幻の新橋駅に行ってきた)その後地下鉄の建設は太平洋戦争に突入したためストップし次の線が開業したのは1954年1月20日、丸の内線の池袋(仮)~御茶ノ水間となっている。

赤坂見附駅は2階建てになっていて銀座線と丸の内線はホームを挟んで左右に並ぶ構造になっている。秋庭氏はここで、戦前に開業していたのは銀座線だけとなっているが、赤坂見附駅は当初から二層構造で開業している。これはもう1路線が戦前からあったからだとしている。

ここで「鉄道ファン」2003年2月号の記事を引用する。


銀座線と丸の内線が接続する赤坂見附の駅は、地下で島式ホームが上下2段構造となっている。同じホームの両側に銀座線と丸の内線の列車が停車してそれぞれ簡単に乗換えができる方向別配線でもある。そして、溜池山王方のトンネル区間でも銀座線と丸の内線が並走し、ここに銀座線と丸の内線を結ぶ渡り線が設けられている。
この渡り線を通る定期列車はないが、銀座線車両を工場検査などのために丸の内線沿線にある中野車両基地に回送するのに使われている。また、隅田川花火大会の花火ライナーなど丸の内線から銀座線に直通するイベント列車などにも使われている。なお、丸の内線車両は銀座線車両より一回り大きいため、丸の内線車両がこの渡り線を通って銀座線に入ることはできない。イベント列車の場合も銀座線車両が丸の内線に乗り入れる。

このような駅構造は、戦前に東京高速鉄道が赤坂見附駅を建設した時に、新橋-四谷見附-新宿間の通称新宿線の構想があり、新橋-渋谷間と合わせてY字形の路線計画を持っていたことから、島式ホーム上下2層構造の構築が最初から造られていた。この新宿線の構想は戦後開通した丸の内線に引き継がれ、丸の内線開通時に両面ホームの使用が開始されている。ただし、戦前の計画より丸の内線車両が一回り大きくなったことから、戦前に造られた丸の内線部分の構築は新しく作り直され、同時にホームも拡幅されている。地下鉄接続駅で有数の利便性の良い駅として、先人の先を見越した計画が生かされている。

これが全て説明してくれてしまっている。というわけで、氏の言う、戦前の東京には(銀座線以外の)地下網が整備されていたという説はちょっと信じがたいのだけれど、半端な数字がフィートで計測された数字という発想は面白い。この本に確証のある話は書かれていなかったが、戦前・戦中に使われていた防空壕や何らかの地下施設が、戦後急速に開発が行われた時代に再利用されているという事実はあるのかもしれない。現代我々が暮らしている地面の下にはライフライン関係の構造物や貯水槽を始めとして、それは想像を超える無数の空間が広がっているのだろう。マンホールの下はロマンで溢れている。そういえば、ナゴヤドームの下は名城線の車庫になってるって話も結構有名だよね?

秋庭俊氏が指摘する東京の「巨大地下網」の存在。 Narinari.com
そらめく日々: 『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

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October 20, 2006

驚愕?事故の種類

驚愕?事故の種類

事故の目撃者を捜す広告。看板自体はありふれた物だが、そこに書かれた驚愕交通事故とは一体・・・。

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October 17, 2006

学部説明会

話半分で聞きに言ったつもりだったけどかなり食いついてる自分がいたりして。カリキュラムを見る限り興味を引かれるものばかりで、結構真剣に検討する価値あり。受験するとしても条件は悪くない、というかむしろ有利な環境かも。専門的にこっちの方向に傾いていっていいのか自分の中で迷いはあるのだけど。

まあまあ。いずれにせよ、今の自分と照らし合わせてまだ段階を踏まなくてはいけないのでね。

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October 01, 2006

会場跡地で遭遇

会場跡地で偶然目撃

閉幕以来近づいていなかった万博会場の跡地、モリコロパークに行った。よりによってなんで雨、ではあるが一人ではなかなか行くきっかけがなかったので友人に誘われ行くことになったのは良い機会だった。

9時前の空いている道はスイスイ進め、あっと言う間にグリーンロード。はなみずき通のサンマルクでモーニングを戴いてから公園へ。いよいよ観覧車が見える。中央についていたLEDスクリーンは無くなっていてぽかんと空いて向こう側が透けた様はどこか空虚感を感じさせた。うわ、会場に着いたら泣くかもしれない。まだ心の準備ができてないよ、と思いつつ気付くとするすると駐車場に入っていたが、奥の方は埋まっていて、舗装されていない真ん中あたりに止める。ここはかつて企業ゾーンAのパビリオンが建っていた場所だ。車を降りてから仰々しいゲートがある訳でもなく、そこはいつの間にか会場の中だった。

現在、1期オープンになった公園のエリアは旧会場の遊びと参加ゾーン(と企業ゾーンA、サツキとメイの家周辺)、詰まる所、オレのいたゾーンである。ディティールまで知り尽くしたオレにとっては当事と比較して変わったところや変わっていないところがポンポン浮かんでくる。一部の建物が無くなってがらんどうになった空間を眺めてみると意外にもこんな程度の広さだったんだと思ってみたり、実際にその場に立つとやっぱり何も無いだだっ広さが強調されたりして、不思議な感覚を味わう。当時から100円安く600円になった大観覧車に乗って、開幕直前に乗ったときのことを思い出す。地球市民村の建物は愛知国際児童年記念館に戻されていて、ロボットの展示など万博の面影を残すものも見られるが、基本的には本来の建物の姿になっている。万博中だけ小奇麗に表面を覆っていたものが剥がされただけなのだが、時間を逆戻しして昭和クオリティの古臭いものが出現していて変な感じだ。万博以前の姿に戻したというのは評価できることと思っていたが、はっきりいって万博の思いでなしに今の時代これらの施設が人を呼べるかというとかなり厳しいものがあるように思う。

グローイングなヴィレッジに降りてみると、なにやら正装な方々が集まっていて多数のカメラもいる・・・ってどうやら元スタッフ同士のウエディングのセレモニーが行われているようだった。しかも覗いてみると新郎新婦ともオレが顔と名前を知っている人で、特に新郎は3月まで職業訓練校で顔を合わせていた人ではないか。なんと!一言も聞いてなかったぞ・・・なのにこの場に居合わせてしまった偶然。そりゃ万博カップルの結婚とあってはテレビの取材もほっとかないでしょうに。新郎には一言挨拶だけさせてもらい、花嫁さんには気付いてもらえなかったようだが忙しく囲まれていたのでその場を退散。いや~しかし、とても幸せそうだった。思わずため息の出る素敵な光景であった。

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