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もういまさら恥も外聞もあったもんじゃありません。こんな状態になってもなおちんけなプライドが邪魔をしていたんですが、冷静に考えてみればだって守るものが何だってないでしょう。どこに向けて書いていいのかわからなくてずっと考えていたのですが、だって俺の話を聞いてくれる人なんて誰もいないじゃないですか。何を迷う必要があるんですか。
もしこれを見てる人がいたとしてね、きっと遠巻きに見てるだけなんですよ。もし俺の知っている人で、大学の人が見たとしましょう。うわあ、と思って引くでしょう。見なきゃよかったと思って暗い気持ちでブラウザを閉じるんでしょう。
なんでそんな評価を下げるような、嫌われるようなことをしなければなりませんか。できるなら俺だってそんなことはしたくないのです。でも受け止めてくれる人が誰もいないから、ここに書くくらいしかないのです。書かずにはいられないのです。
いやだってわかります。客観的になってみれば、誰がこんなネガティブで暗いことばっかり言ってる面白味のない人間と関わりたいと思いますか。こんな人間と付き合うメリットが一つでもありますか。きっとそういうことなのでしょう。
自分が変わらなきゃ、友達を作らなきゃ、そう思って研究しました。人間関係の本を読んでいろいろやってみました。ネガティブなことを口にしないように、明るく振る舞ってみたり、落ち込んでも意識的に忘れようとしたり、人のいいところを見つけて誉めるように心がけたり、持ち物をきっかけに話しかけてみたり、友達の好きなものを覚えておいてプレゼントしたり。でも何も変わらなかった。
二十四年間生きてきて友達と呼べる人が一人もいないのです。それが答えです。どうしたらいいかわかりません。
友達が支えてくれるなら変われる、そう思っていた時期がありました。でもそんな友達もいつの間にか失っていました。ゆっくり休んで治して、と言ってくれた人も今では俺のことなど忘れているのではないかと思います。
あっっっ、という間に1ヶ月、2ヶ月、……もう一年半経ちました。恐ろしい。何もしていないのです。この間、ほんとに、何一つだって変わっていない。
一時期はあんなに死にたいと思っていたのに、今は不思議とそういう気持ちはありません。何も意義のあるものを残せず死んでいくのが悔しすぎるからです。一時期は死んだら悲しんでくれる人がいると思っていました。今は誰一人いないでしょう。親だけ。死んだら集まって思出話の一つでもしてくれる人がいたらよかったのですが、死んだことすら知られないかもしれません。そんなのでは死ぬ、意味がありません。かといってそんな後ろ向きな理由で生きていて希望を持てるのでしょうか。
そんなことを思った誕生日でした。
もしこれが夢だったら、とは今までに何度思ったことか。質の悪い悪夢でいずれ覚めるのだとわかっていたらどれだけ救われるか。しかし今までのところそのような気配は全くなく、時間というものは着実に不可逆的に前へ進んでいて、齢を重ねるごとに状況は悪化するばかりなのである。時間は残酷だ。
この戦意喪失感は、自らの無能さを受け入れられないところに起因しているのだと思うが、一向に解消しそうにない。
夏休みは予想通りニート生活への引導となった。眼前の問題を先送りして現実逃避するばかり。よい機会だから早いうちに精神科病棟に入院すればよかったのかもしれない。
話を聞いてくれる友達もいなくなった。所詮他人は他人であって、どんなに仲良くなろうとも私とは違う人間なのだから依存してはいけないと思うが、気づけば皆離れていってしまうのはオレが付き合うだけの価値もない、面白味もない人間だからだと思って絶望する。オレはコミュニケーション能力に欠けた社会不適合者で、だから友達もできないし人付き合いがないから社会的な経験値を積む場面を通ることなく過ぎていき、ますます自分の価値を落としていくのだ。
両親はずっとオレのことを心配している。だが両親のことは正直嫌いだ。オレが何も話さないからこのblogを見ているようだが。しかし現実には親の庇護のもと経済的にも全面的に依存して生きている事実。自殺企図を心配されて父か母どちらかの監視がある。
えらそうなことを言っているが、本当に迷惑をかけて申し訳ないと思う。何もできない、自立できない自分を見ると吐き気を催す。今まで散々お金を使わせてきて、将来の展望も見えなくて途方に暮れる。
オレには生きる能力が足りない。自分のコントロールもできない。自分の趣味でしたいことをやり遂げる気力さえない。況んや義務的に課せられたタスクにおいてをや。
もう全然連絡を取らないが、大学の同期生のことを考えると恐ろしい。停滞してしまっている自分と、経験を積んで確実に一歩ずつ成長していく彼らを比べてしまうからだ。ただでさえ余分に年取っているのに既に4年で卒業できないレベルに来ていて、秋から授業に戻れないとなるとさらに延びてしまう。同期生と一緒に卒業したいと思ってぎりぎりで踏ん張っていたつもりだが正直しんどくなってきた。
時間だけが過ぎていく。
今夜の急行きたぐにで帰ることにした。
1月に座っていたのと同じベンチ。新潟駅で半日過ごす。
駅にいると、大会に出るらしい体操服姿の男女と、制服の女子中高生が目につく。こっちはもう学校始まってんのか?
大きな荷物パッキングして持ってきたのに、水着もレジャーシートも外で寝れる用意も使わずじまい、後半の4日間虚しい時間を無駄に過ごしただけだった。お金も無駄に使った。下調べも苦労してしたのに。なんでこう無駄遣いが好きなんだ。うんざりだよ。
ああ、くそくそ死にたい。
ごめんなさいごめんなさい。鬱状態に突入して長岡のホテルに3日間引きこもって本読むかネットしてた、ここまで来て。のだが今朝追い出された。新潟で中学生の総体とV6のコンサートがあるとかで近郊の宿泊施設も探してもらったけどいっぱいらしい。まだ先の宿の予約とかきっぷも持っているしせっかくこっちまで来てるから続けたいのだけど無理そうだ。けど上りの新幹線帰省でいっぱいだし帰るのもしんどい。
もうやだオレほんとに。最悪だ。約束は守らないし、友達をなくすようなことばかりして、金をドブに捨てるようなことばっかりして、今まで無駄にしてきた時間が恐ろしい。そしてこの先もこんなことが続くと思うと社会的に終わった人生じゃないか。死ねよ。早く死ね。
高山はオールドとモダンが融合しててグレイトな感じだ。観光地観光地してるんだけどオシャレなお店もちゃんとあったりして小京都は伊達じゃない。
このファミマ、ファミマってわかりにくいファミマだよね。
古い町並みを歩いて、高山ラーメンとビールをかきこむ。野沢菜、たまり煎餅、五平餅、飛騨牛、日本酒、売店に売ってるものはあれもこれも欲しい。
しかし、なんかこう落ち込むなあ。やっぱりこんなとこ来てていいんだろうか。なんだオレ馬鹿だなあ。帰りたい。
下呂のいろんなものが美味すぎる!とちの実煎餅、ほうば味噌、岩魚、はちみつ。
ガイドブックに良さげな展望台があったから行ってみようかと土産屋のおっちゃんに聞いたらそこは行けないんだと。
トマト丼食べた。風呂入ってくる!
旅に出るぜ。
予備校時代から行ってるセミナーにOBとして参加。場所は佐渡島。
これに前後の行程を足して12日間で下呂温泉、高山、白川郷、富山、立山黒部アルペンルート、鶴岡、秋田、田沢湖、大曲の全国花火競技大会、平泉を見る予定。
今回はなるべくユースホステルに泊まるのが目標の一つ。後半は18きっぷを使って長距離移動。大曲の花火は競技大会として行われる花火で全国的に有名。なにしろ人口4万人のエリアに75万人の観客がやってくるらしい。一日がかりで気合いを入れて見に行かないといけないらしい。
しかし期日が来てしまったのでとりあえず出発したが、まだ出してないレポートがあったり、旅なんかするよりバイトしなきゃなーとか思ったり、若干気分悪くて体調が万全じゃなかったり。大丈夫かしら。
つーか荷物が一つにまとめられなくて邪魔すぎる。身軽にできない自分に凹む。
今度こそ最後にするつもりだったのにな。一人で満足に自決することさえできないなんて、どんなに情けないんだか。ご家族の方を呼び出されて迷惑かけて。
大学入学時に建てたプランはどんどん狂ってきている。他でもない全部自分が招いたものなのだから何の言い訳もない。大学が全てじゃないって言ったって、大学卒業して取る資格と進むべき道は一応考えてある。そのためには今ある課題をこなすのが一番近道だってこともわかってる。なのに。できない。この大学でさえうまくやれなくて悩んでる。大学辞めたら、たぶん他に生きていける世界なんてないだろう。親に迷惑かけ続けてニートになるか、劣悪な環境で働く底辺労働者になるか。どちらも否だ。
まだまだ甘やかされたところでぬくぬく生きていけるから、ほんとに死ねないんだろう。だけど段々状況は悪化してきている。取り返しのつかないところに追い込まれたら、一縷の望みも持てなくなったら、今度こそ死ねるさ。
今日は大学に行ったけど、テストは一つも出られなかった。校内うろうろして、空いた教室でうとうとして、食堂でご飯食べて帰ってきた。こんな調子でずっとやってたのだから急にテスト出たってやれるわけないのだが。あーあ。取れる単位だけでも取ろうと先生のところ行ってレポートで出席に代えてもらったりしていたのに全部パァ。
授業なんて出てゐても友達とのお喋りに夢中で聞ひてない人や、教科書すら開ひたことのない人でも単位は取れるのに、まつたくオレと来たらだういうことでせう。このやうな馬鹿者は大学だけでなくどこにいつたて適応できないのじやないだらうか、と思ふのです。
以前は、友達がいないと言っていたら「私は友達だよ」なんて言ってくれる人がたまにいたものだが、一人、二人と消えていき今やほんとに一人だ。メールしたって返ってきやしない。
学校にこそ行くようにしていたがここ2週間ばかし勉強になど手もつかず。期末提出用の新しい旅行商品提案のパワポを作っていたくらいだが、それもうまく行く気がしない。こんな調子で臨んでテストなんてできるはずがない。
前に夏休みまでもってよいとこと書いたと思うがいよいよ現実のものになってきたと思う。オレのこの半年一体なんだったんだろう。オレが馬鹿みたいに過ごしている間に、みんな前に進んでいってる。
昨日出会った人は奇妙な人だった。今までに頑張ったことがないといい、ストレスを感じたり大変だと思ったことがないから頑張るということがどういうことかわからないという。特にしたいこともない。友達づきあいは苦手だか特に寂しいと思ったこともない。自然に身を任せてなるようになるのが一番、流れに逆らうと痛い目に遭う、と19にしては妙に達観したしゃべり方をする人だった。
そんな彼女が昼も夜も一生懸命働いてる理由が解せなかったが。いや、働いてることを大変だとも思ってないのか。
「なりたいものとかないの?」と聞くと、お姫様になりたいという。「お姫様になるために何か努力しないのか」「シンデレラは何もしなくても王子さまに見つけてもらえるんだよ。あれってそういう話でしょ?王子さまに見つけてもらえなかったら、平凡に生きていければいい。」なるほど。そういう生き方もあるのだなあと思う。そんな彼女ですら自分で頑張っていると思っていないだけで、オレよりはきっと努力しているし、自分で生きているだけずっと立派だ。オレには彼女のことをどうこういう資格はない。
だけどオレには彼女がシンデレラガールになれるとはやっぱり思えないのだった。なんというかこう、たるんでいる感じが外面に表れている気がしたので。
昨日、今日と神戸市内の観光地の見学に行きました。カメラ持って自発的に遊びに出かけるなんて先週の海上自衛隊に行くまで、半年くらいずっとしてないなかったように思います。だけど、だんだん元気なくなってしまって、自分が弱っているのに気づきます。人と話すのも億劫になって、どこかのお店に入ってご飯を選ぶのも嫌になって、惨めな気分のまま予定半ばで帰ってしまいました。一人はとても寂しいです。今頃他の人は何をしているのだろうと考えると自分の行動が凄く無為に思えます。
テスト勉強まっっっっったく手付かず。どうしましょう。危機です。
P905iのメール機能が糞過ぎる
最たるものは、編集中に送信先の表示が電話帳の登録名でできなくて、アドレスでしか表示できない。設定で変えられるはずだと思ってどれだけ探しても存在しない。複数の人に同時に送るときなんて、相手のアドレス全部覚えてるわけないから誰を選択してたのかわからなくなる。
このわかりにくさは異状。なんだってこんな仕様なのか全く理解できない。
しかも一行に収まらない分は表示できないし選択して確認することもできない。返信メール作成にして宛先メニューにしてさらに宛先変更で直接入力を選んで初めてアドレス全部の確認とコピペができる。
メールグループに送るときに新規メールでしか選択できない。グループ1に送って、同じ内容を再編集で宛先だけグループ2に変えて送ろうと思っても選択メニューにメールグループが存在しない。しょうがなしに新規メールを作って本文コピペするしかない。かなりの手間。このメールグループですら誰がそのメールグループに入ってるかアドレスでしか確認できないのだ。
そもそも5人までしか同時に送れないドコモの仕様がくそだが。
登録作業が少なくてメンテナンスが楽で、携帯への配信が滞りなくできるメーリングリスト誰か教えてください。
その他にも、英字の大文字が連続入力できない。
まだ半年経ってないけど機種変したくなるね。
昼間は人が大勢行き交う道路の中央に荷物の搬入車が並ぶ。すごい量。積み下ろすドライバーの数も一人二人じゃない。周辺の商業施設で売られる商品の搬入が営業前のこの時間に集中してるのだからさもありなん。
なんだこれ。でかい喪失感キタ。最悪だ。
今一番の理解者、話し相手になってくれる人、心を開ける人が、いなくなった。
せっかく毎日大学行く習慣つけてたのに。マズイ。学校に行けなくなるかもしれない。
どうしよどうしよ。このままの状態で突入すると、レポートに手は付かない。テストも出席できなくて、なんとか課題クリアして取れそうになった単位まで軒並み落とすことになりそうだ。今取れる単位取れないとたぶん4年で卒業不可能になる。こないだ立てた計画がまた狂う。今回がダメだったらもう学校に復帰できない。別の生き方もおそらくない。
この地の名水「宮水」と気候風土が古くから酒造りに合うとされ、多くの酒蔵が並ぶことで知られる灘五郷。五つの郷の内、神戸市内にあるのは西郷、御影郷、魚崎郷の3つで周辺には案内板が整備され、モデルルートを散策しながら酒造の運営する資料館を見たり酒を味わえる。せっかく近くまで寄ったので魚崎郷にある一つに立ち寄った。
といっても既に時間が早くなく炎天下の中もうあんまり歩きたくなかったので、六甲ライナーの南魚崎(酒蔵の道)駅から近い櫻正宗記念館「櫻宴」に決めた。ここは展示スペースはあまり大きくなく、どちらかというとカフェとレストランがメインのようであった。自分の姿と風景をクロマキー合成して撮影してオリジナルの日本酒ラベルを作るでっかいプリクラみたいな設備があって面白そうだったのだが、動いていなかった。それの案内板があってやってみようかなと思ったのだが、だいぶ前から故障しているのか需要がなかったのか、上から別の展示物で隠してあった。酒造は以前にも見学したことがあるのでそれほど熱心に見るものもなく、レストランで和風料理と酒を飲んだ。
レストランは個室の座敷もある雰囲気のいいお店で天井に流木が渡してあったりミニステージのようなものもあった。
最初に綺麗なボトルに入った桜色の、その名も「さくらRED SWEET」を呑んだ。日本酒としては例外的にかなり甘いデザートワインみたいな酒だったが後味はすっきりしていておいしい。お土産に購入。
住吉駅に初めて降りたって驚いたことが。ポートライナーの乗り場には金券ショップがあった。金券ショップという営業形態は、古物商許可を受けて営業する真っ当な商売とはいえ、駅の敷地内、それも券売機のすぐ横に堂々あるとは。さすがにこの店舗では六甲ライナーの乗車券こそ取り扱っていないようだったが。
乗車券類の転売についての法的解釈を考えてみる。
JR各社の旅客営業規則(運送約款)では、こう定められている。
第167条 定期乗車券以外の乗車券は、次の各号の1に該当する場合は、その全券片を無効として回収する。(7) 旅行開始後の乗車券を他人から譲り受けて使用したとき。
http://www.jreast.co.jp/ryokaku/02_hen/04_syo/02_setsu/13.html
一方、ダフ屋行為を取り締まる、各都道府県のいわゆる迷惑防止条例では、こう定めている。
(入場券等の不当な売買行為(だふや行為)の禁止) 第5条 何人も、入場券、観覧券その他の公共の娯楽施設を利用することができる権利を証する物又は乗車券、急行券、指定券、寝台券、乗船券その他の公共の乗物を利用することができる権利を証する物で発売数が制限されているもの(以下「入場券等」という。)を不特定の者に転売するため、又は不特定の者に転売しようとする者に交付するため、公共の場所(入場券等を公衆に発売する場所を含む。次項において同じ。)又は公共の乗物において、入場券等を、買い、又は人に立ちふさがり、付きまとい、若しくは呼び掛け、ビラその他の文書若しくは図画を配り、若しくは掲示し、若しくは公衆の列に加わつて買おうとしてはならない。 2 何人も、公共の場所又は公共の乗物において、転売するために得た入場券等を不特定の者に、売り、又は人に立ちふさがり、付きまとい、若しくは呼び掛け、ビラその他の文書若しくは図画を配り、若しくは掲示し、若しくは入場券等を展示し、若しくは提示して売ろうとしてはならない。兵庫県:公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例
言い回しは各都道府県で微妙に違うが、要約すると、
・転売を目的として入場券等を買おうとする
・公共の場で転売目的の入場券等を売ろうとする
ことが禁止されている。
ということで、金券ショップでの販売は公共の場でない(私有地である)ということをもってぎりぎり犯罪の構成要件該当性を免れているように思う。(用語の使い方あってるかな?)同じことを改札の前という公共の場でやったらダフ屋行為に該当するのだと思われる。ただよっぽどの迷惑な方法でない限り、取締りの必要性があるとは思えないので誰も捕まえないが。
一方、買取(仕入れ)の方に関しては、金券ショップの人自らが駅に回数券を買いに行くと前項に該当してしまいそう。金券ショップに回数券を持ち込む人と、金券ショップの存在と、金券ショップで買う人の3つが存在してはじめて成立するシステムのようだ。少なくとも法的には。むしろ回数券の転売については、金券ショップの買取(仕入れ)の方に、クレジットカード枠の現金化とか、企業の裏金作りを目的とした換金とかに問題がありそうだがそれはまた別の話。
こんな話を展開したのは、オレとしては金券ショップを否定するつもりなど毛頭なく、ちょっと考えてみたかっただけなのです。オレも金券ショップは使うし。
調べてみると面白いことに、昭和30年代の大阪では、駅の改札の前で11枚つづりの回数券を一枚ずつ正規の運賃(割引なし)で販売して一組で一枚分の利ざやを稼ぐ人たちがいたらしい。売る方は小銭稼ぎ、買う方は券売所に並ばなくていいというメリットがあってWIN-WINの関係だったようだ。さらに鉄道会社にとっても券売の駅員を多く雇わなくていいということでWIN-WIN-WINで成り立っていたようだ。
こうした人たちは、1970年の大阪万博の開催による風紀の見直し、駅への自動券売機の導入を契機に消えたんだとか。
さらにさらに調べている途中で、こんな面白い話を見つけてしまった。千葉に北総鉄道という運賃のめちゃくちゃ高い鉄道があるのだが、それがあまりに高くて沿線の住民は困ったというので、こういう方法を思いついたそう。駅周辺の商店主らが買ってきた回数券を本業の傍ら自分の店で利ざやなしの価格(原価)でバラ売りするというボランティア的運動。一人ずつ買うと高くつくから地域住民による共同購入みたいな方法を思いついたわけだ。しかもこの運動のおかげで北総鉄道の輸送人員が上昇したという。
いやー面白いなぁ。
さて、話はようやく戻って。
この日は六甲ライナーに初乗車全線完乗。ライナーから見る限り、六甲アイランドは、ポーアイが若干人気がなくて寂しいのに比べ、綺麗で大型のマンションが密集していて商業的にも賑わっているのね。終点のマリンパーク駅の前には大型レジャー型のプールがあってたくさんの人で賑わっていた。
海上自衛隊の訓練支援艦「てんりゅう」に体験搭乗した。六甲アイランドそばの海上自衛隊阪神基地を発着地に神戸港を体験航海。
灰色一色で塗られた大きな要塞のような船体、頭上ではレーダーが回っている。ラッパの音を合図に大きな艦隊が出航する。太陽の突き刺す暑い日で甲板の上に経っていると拭いても拭いても汗が出てくる。船内は狭い通路と階段で結ばれていた。エンジンをコントロールする機関室は船体の中央にあって外は見えないので薄暗い。モニターがたくさん並んでいて時折隊員が何かの合図を復唱する声が聞こえる。船の前に進んで急角度の階段を上って操縦室?というのかわからないがとにかく一番前の見晴らしのいい部屋に入ると、双眼鏡を手にする隊員や大きな耳あての無線機をつけて連絡を取る隊員など十名以上がいて、窓の外を監視しながらそれぞれの仕事をしている。その部屋の両側、右舷と左舷にそれぞれ飛び出したデッキがあってそこにも隊員が立っている。あー、こないだ事故ったあの、雨が降って寒かったので外の監視を止めて中に入ってたら他の船にぶつかってしまったあれだな、と思う。
前の方の甲板についているニョキッと伸びた76mm速射砲がその大きな見た目からは予想外の機敏な動きをするのを実演で見られた。
艦が港に戻ってきて着岸するときはタグボートがサポートに入る作業を興味深く見ていた。スピードを緩めた艦の横っ腹を前と後ろ2隻のタグボートがかぶせるように船体をぶつけ岸壁側に押し付ける。隊員の人に聞くと、スピードが緩んでいると舵が切りにくくなって自力で寄せるのが難しいのだという。タグボートは何度も切り返して自分の何倍もある艦隊の幅寄せを手伝う。こういうのも技術がいるのだろうなと思う。やがてある程度まで近づくと甲板からロープが投げられ、地上で待機していた隊員がそれを受け取り、岸壁に生えた杭(あれの名前は舫い杭(もやいぐい)というのだと知った。)に巻きつけた。1時間ちょっとの航海は見るものがたくさんあってあっという間に終わった。
昨日は学校の後に友達と焼き肉食べにいって楽しく喋ることができて、オレ大丈夫になってきたかもと思った。
二次会のバーでしゃべってたら途中でむしゃくしゃして許せなくなって飛び出した。三宮の路地でひっくり返って泣きながら電話してたら誰かに蹴り飛ばされた。
みんな楽しくできるのにどうしてオレはできないの。
授業に出てきたが苦しくなる。レキソタンを飲むが耐えられず廊下で倒れて泣いていた。もう人目も憚らず。
何してんだオレは。授業に出たいのに。
こんな感じで何も身に付けないまま年を取っていき、今はまだ学生だから多少許されてるけどけどその先どうすんだ。
人間には絶対的な能力の差を感じる。体力の差。精神力の差。意欲はあってもがんばりたいのに頑張れない。
この社会はオレを含む弱者に優しくない。努力することをあきらめてはいけないが個々のポテンシャルに応じてできることに限界がある。誰もがイチローのようにはなれない。
教育の過程で選抜され生き残った強者がこの社会の中心を作っていく。
死にたい。
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